建築家?

初めて会いに行ったのは建築家だった。なぜいきなり建築家? と思うだろう。

ハウスメーカーは初めから頭になかった。建売を何軒か見て感じた「よくある感じ」はあまり好きではなかったからだ。賃貸物権に似た汎用性の高さは大勢の人に対応出来る形なんだろう。でも自由度には制約がある。

だからこの段階では建築家と工務店への資料請求を並行していた。

 

工務店はプレゼン用資料があり自宅に送付、後に打ち合せという形が多く、建築家は直接会って話すのが第一段階の人が多い。(建築家の中でも資料を先に送ってくれる人もいた)

だから同時進行していると必然的に建築家の方が会いましょう、となるのが早い。

メールのレスポンスが早かった一人の建築家は数日後にはもう会うことになった。

 

建築家と言っても様々で、施主の要望を形にすることを目指している建築家や、自分の作品のように考えている建築家もいる。

 

建築家に依頼した人のブログを何人か読んだけど、施主と意気投合して盛り上がる建築家もいれば、説明なく見栄えのために使い勝手を犠牲にした建築家もいた。

工務店は検索をかければ評判はある程度分かるけど、建築家は表のプロフィール以外は会ってみるまでどんな人かは分からない。

なぜ問い合わせたかというと、県内で好きなテイストの家を作っていたからだった。

 

その建築家(以降「おじさん」と呼ぶことにする)は会ってすぐに住んでいる場所やどこでこの設計所を知ったか簡単な質問をしたあと、自分が受けた仕事のこだわった点、知り合いの建築家がいかに有名人を手がけたかを話した。

おじさん自身は芸能人や有名人のお金持ち相手の仕事はつまらないのでしたくないそうだ。

 

知人が施工したという有名人や、かつて担当した施主のエピソードは家の話だけに留まらず、センスのなさや食べているものにまで至った。大手ハウスメーカーの名前を出してダメだと言う。

多くの人たちはこういう話を聞いて楽しめるのだろうか? 依頼をしたらそのうち同列に語られてしまうかもしれないと思うと、気持ちのいいものではなかった。

 

一段落すると「どんなのがいいとかあるの?」と聞いてきた。メールのやり取りの内容は他の人と混ざっていて把握出来ていなかった。

こちらの意見を聞いて一言目には「普通だね。もっとないの?」と言う。品定めするような目だ。「面白くない仕事はしたくない」と言っていたのが頭をよぎる。

 

『建築家のセンスや経験をお借りして理想の家を建てる』というよりは『面白いアイディアを提供して作品に住まわせてもらう』というニュアンスだ。

 

「建売を買った人の『衣食住』の『住』の喜びはゼロだ。食や衣や趣味に生きればいい」

そう語る姿は自分の作品への自信の高さがうかがえた。

 

「要望は5つまで聞く」「芸能人や金持ちの仕事は面白くない」「安い仕事でもやる」「そのかわりテレビで紹介させてもらう」「無料で広告がわりになる」「みんな喜んでますよ」「おしゃれに暮らしてほしい」「ニ◯リの家具なんかは使わないでほしい」「掃除機はダイソンかルンバしか使ってほしくない」「ここの施主は住みこなせていない」

その言葉は裏を返せば自分が主導権を握れない相手とは仕事をしたくないのだろうし、施主の承認欲求と大金持ちではないところを利用して広告としての生活を求めているように見えた。

それが喜びの施主もいるだろう。

私には生活の場をテレビに放映されたい欲求はない。

 

興味深い話もたくさんあった。「預金通帳の隠し場所を作ってほしい」というクライアントや「太陽は感じたいけど全裸で過ごしたい」というクライアント。あるメーカーのショールームは有名な建築家が担当しているけど、実際の建物は下請けがが担当する、など。

土地の探し方や広さの目安は大変参考になった。土地は騙しがないそうだ。確かに建売は構造が見えるわけではないので価値を判断しづらい。

 

打ち合せの部屋にあった机は私も使っているものだった。好きなものの傾向は似ているのだと思う。でも経験上『うまくいかないんじゃないかな』という直感は大事にした方がいいと思っている。

 

おじさんに依頼したらプライドにかけていい建物を建ててくれるだろう。だけど、おじさんに依頼はしない。

 

たぶんおじさんも「俺を選ばない奴はセンスがないし、用はない」と思っている。